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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)96号 判決 1971年4月14日

原告 武内栄子

被告 赤川達海

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

一  原告訴訟代理人

「被告は原告に対し、金一五〇万円およびこれに対する昭和四四年二月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決および仮執行宣言を求める。

二  被告訴訟代理人

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者双方の主張

一  請求原因および抗弁に対する認否

(一)  被告は肩書地において産婦人科医院(以下被告医院という。)を経営している開業医である。

(二)  原告は妊娠三ケ月と推定された昭和三九年二月四日出産を目的として被告の診察を受けた後、ひきつづき定期的にその診察を受け、同年八月二九日分娩のため被告医院に入院し、同月三〇日午前五時一〇分ごろ新生児を娩出したが、その新生児は重症仮死状態であり、被告の施した蘇生術も効なく分娩一〇数分後に死亡するに至つた。

(三)  右初診時において原、被告間に診療契約が結ばれたのであり、しかもそれは、受診者が産婦でありかつ出産のみを目的として産科医に診療を依頼したことが明らかである前項のような場合には、被告が原告をして母子ともに健全な状態で分娩するに至らしめることを目的とする請負契約にあたるものと解されるところ、前項のような状態における新生児の娩出死亡が招来されたのであるから、被告の原告に対する右契約上の義務は履行不能に帰したものというべきである。

(四)  原告は、昭和三八年一一月二〇日訴外武内愛義と婚姻し、初めての妊娠で第一子が誕生することを大いなる希望と喜びをもつて心待ちにしていたものであつて、被告の右債務不履行によりこの第一子を失つた原告の悲しみ、精神的苦痛には測り知れないものがあり、その慰藉料は金一五〇万円が相当である。

(五)  よつて、原告は、被告に対し、前記債務不履行に基づく損害賠償として金一五〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四四年二月一六日から支払い済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

抗弁事実のうち、原告が被告主張の年月日に被告の診療を受けたことおよび被告が本件分娩にあたり吸引分娩術を行つたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

(イ) 原告は出産月である昭和三九年八月一日血圧著増の徴候を示し、同月一〇日尿蛋白の顕出をみるとともに、全身にわたり、特に下半身に強く、むくみを生じ、同月二〇日には尿に混濁が認められ、更に同月二六日には尿蛋白が急増するとともに全身のむくみが外見上容易に診断できるような極めて強度のものとなり、血圧も収縮期血圧一五〇mmHg弛緩期血圧七〇mmHg(以下血圧については単に数字のみを示す。)に達した。

このような浮腫、蛋白尿、高血圧の諸症状は晩期妊娠中毒症を示す典型的なものであり、特に高血圧が伴う場合には子癇などの重篤症状を併発し、胎児死亡等の結果を招来し易いことは産科医の常識であるところ、被告は原告に対し若干の投薬を施したのみで右症状に対する適切な処置をとらなかつた。

(ロ) 同月二九日朝原告が分娩のため被告医院に入院した際の原告の血圧は一三八/七〇であり、同日午後八時ごろ一四五/八〇に達するとともに、その頃破水したものの、陣痛微弱であつたところ、翌三〇日午前一時三〇分子宮口3/4開大、同日午前四時三〇分子宮口全開大となつたが、すでにその時胎児心音に異常を生じていた。これを知つた被告は原告が陣痛を訴える毎に被告方家人二名に分娩ベツトの両側から原告の努責に同調して胎児を押し出す様にその各人の両手に全体重をかけて強力に原告の腹部を圧迫させ、その結果同日午前五時一〇分頃胎児は重症仮死状態で娩出された。

原告が晩期妊娠中毒症状を呈しているときにかような方法をとることが、胎児に重大な影響を与えることは、容易に確認されるところであつて、軽々しく分娩介助として右のような手段に及んだ被告の行為は、産科医として過失あるものといわざるを得ない。

(ハ) 右(ロ)記載のような破水陣痛の場合には、産科医として、分娩進行の過程の度合いを観察しながら母体および胎児に対する危険の開始を診断しなければならず、そのいずれかに危険の徴候が現われたときは、鉗子適位前であるならば直ちに帝王切開術を、鉗子適位以後であるならば鉗子分娩術を実施する等の緊急措置をとり、急速に分娩を完了させて母体および胎児の安全を図るべきであり、また、原告には相当重症の妊娠中毒症の徴候が顕著であつたのであるから、子宮口が全開大になる前に母体および胎児の危険を予見すべきであり、この時点においてその危険を回避するため帝王切開術を施すべきであつたにも拘らず、被告はデリバリン錠を若干投与するのみで右のような措置をとらなかつた。なお、被告医院には手術室はあるものの、その設備は完備しておらず帝王切開をすることのできる客観的条件を具備していなかつた。このような被告の過失ある所為が胎児の重症仮死状態での娩出という結果を生む一因をなしている。

(ニ) 更に被告のとつた新生児に対する分娩後の措置も適正を欠いていた。即ち、新生児は重症仮死状態でその反射機能を喪失していたのであるから、皮膚刺激、冷温浴等のシヨツク療法は全く無意味であり、むしろ気道内の吸引物の排除と同時に直ちに直接法による人工呼吸を実施し、更に心臓への直接注射をすべきであつたにも拘らず、被告はこれらの処置を施さなかつたものである。

二  請求原因に対する認否および抗弁

(一)  (請求原因に対する認否)

請求原因(一)項記載事実は認める。

同(二)項記載事実は認める。但し、新生児の分娩後心音停止までの時間は数分間であつた。

同(三)項記載事実のうち、初診時間、被告間に診療契約の締結されたこと自体は認めるが、その余はすべて争う。

請負契約とみられる診療契約の場合においても、この請負における「或仕事ヲ完成スルコト」とは、通常の請負契約の場合と異なり、「診療行為の完成」を意味するものであつて、「診療行為の成果」までも含むものではないと解することが、きわめて精妙な人間の生体を対象とし、しかもいまだその玄妙な機構機能をほとんど解明しえない医学医術の現段階において、かかる診療の特殊性からみても、また当事者の意思からいつても、正当である。本件診療契約にあつても、当事者間で特に母子ともに健全な状態での分娩という成果をも契約内容に含ませる旨の特約が交わされていない以上、仮にこれを請負契約であると解しても、右契約における被告医師の債務は、右のような状態での分娩という成果までをも請負うことにあるのではなく、分娩を介助すること自体であり、この分娩介助行為を完成することである。したがつてこの行為に死産という結果が伴つたからといつて、被告の右債務が履行不能に帰したということにはならない。

同(四)項記載事実は知らない。

(二)(抗弁)

被告は、原告に対する本件診療において別紙「診療経過」表中「被告主張」欄記載のとおり、産科医として業務上要求される注意義務を尽したものであつて本件診療契約に基づく債務は被告においてこれを完全に履行したのである。

第三証拠<省略>

理由

一、(一) 被告が肩書地において産婦人科医院を経営している開業医であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一号証の一および二、証人荒井輝子の証言、被告本人尋問の結果ならびに鑑定人織田明の鑑定の結果によれば、昭和三九年二月四日から同年八月三〇日までの間に被告が原告およびその胎児に行つた診療は別紙「診療経過」中「認定事実」欄記載のとおりであつたことが認められ(ただし、原告が昭和三九年八月三〇日午前五時一〇分頃被告の介助のもとに新生児を重症仮死状態で分娩したことおよび右新生児が分娩後死亡したことはいずれも当事者間に争いがない。)、武内愛義の供述中右認定に抵触する部分は採用し難く、他にこれを左右すべき証拠はない。

(二) 原告は昭和三九年八月一日頃以降に顕われた浮腫、蛋白尿および高血圧の徴候に照らし相当重症な晩期妊娠中毒症状を呈していたことが明らかであつた旨主張する。

ところで「日本産婦人科学会妊娠中毒症委員会の示すところによると、妊娠中毒症軽症とは浮腫が下肢または下腹部に限局、蛋白尿二、九%まで、収縮期血圧一四〇-一六九ミリまで、上記症状の一つ以上、同重症とは浮腫全身、蛋白尿三%以上、収縮期血圧一七〇ミリ以上、上記症状の一つ以上と分類されている」(鑑定人織田明の鑑定の結果)ところ、原告について右の三徴候をみると、次のとおりである。

<1>  血圧は、右(一)認定のとおり、初診時から昭和三九年七月一〇日診察時までは一〇五ないし一三二/五〇ないし八〇であり、これにつづく同年八月一日および同月一五日一四五/七五、同月二六日に一五〇/七〇とやゝ上昇したものの、同月二八日一四二/七〇、同月二九日の入院時一三八/七〇と下降しており、ただ同日午後八時一四五/八〇、同日午後一一時頃一七五/八〇と上昇している。

原告は同月一日血圧著増の徴候を示した旨主張するけれども、同日の血圧は右のとおりであつて、これを著増ということはできない。

<2>  初診時から昭和三九年八月一五日診察時まで尿所見に異状がなく、同月二〇日の診察時にはじめて尿軽度に混濁があり、排尿時の不快感が訴えられたにすぎず、同月二六日に尿蛋白微弱陽性を示したが、同月二八日尿蛋白反応の減少したことは、前記(一)認定のとおりである。

<3>  さらに右(一)認定のとおり、浮腫は、昭和三九年八月一五日の診察時に脛骨稜に、圧迫により軽度に認められ、同月二六日および同月二八日に下肢に軽度の浮腫があり、同月二九日には浮腫が前日よりやゝ強く、下肢のほかに外陰唇にも認められたが、同月三一日には外陰唇に浮腫はなかつた。

武内愛義の供述によれば、原告は入院する一ケ月前頃から外見上肥満が目立つようになり、特に下肢の肥満したことが認められるけれども、このことより、直ちに、その頃から原告に浮腫があつたものと認めることは困難であり、その他原告主張のような強度のむくみがあつたことを肯定しうる証拠がない。

<4>  なお、前示乙第一号証の一、二の記載および被告本人の供述によると、原告の血圧は昭和三九年九月二日一七〇/九〇であつたが、その後順次低下し同月六日一三五/七〇になつたこと、原告は同月九日頃被告医院を退院した後、同月一二日および同月一八日の二回にわたり被告医院に赴いて被告の診療を受けているのであるが、一二日には血圧一三五/八〇、尿蛋白陰性であり、一八日には血圧一一八/七〇、尿所見正常、浮腫脛骨部にごく軽度にみられただけであつて、妊娠中毒症はその頃終つたものと被告において診断したことが認められる。

以上<1>ないし<4>認定の各事実を綜合し、なお<1>前段末尾記載の血圧上昇の点については、「分娩進行中に一過性に血圧の上昇の起ることは時にある」(右鑑定結果)ことを考えあわせると、原告は晩期妊娠中毒症に罹患したものの、それは、妊娠分娩を通じて軽症に属していたものであつて、原告主張のような重症ではなかつた、と認められる。

もつとも前示乙第一号証の一、二および被告本人の供述によると、被告は原告に対する診療録(乙第一号証の一、二)の傷病名欄に妊娠腎と記入し、本件死産届書にもこの病名を記載したことが認められるけれども、前記鑑定結果によれば、妊娠腎とは妊娠浮腫の症状にさらに腎臓が侵され比較的著名な蛋白尿をみるに至つた場合をいうものであつて、本件の浮腫および蛋白尿は上記のとおりこれより遙かに軽度のものであり、本件における病名を妊娠腎とすることはむしろ不適当であつたことが認められるから、被告が右診療録および死産届書に妊娠腎という病名を記入したことは、前段認定の支障をなすものではなく、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。

ところで、右認定のような妊娠中毒症軽症に対しては、前記(一)認定事実にみられる被告の診療、すなわち、定期的な診察による経過観察および少量の降圧利尿剤投与等で足りたことが、前記鑑定結果によつて認められる。

(三) 原告が被告医院に入院した昭和三九年八月二九日の午前一〇時半頃から陣痛が始まり、同日午後一一時子宮口開大23程度、翌三〇日午前一時半3/4程度、同日午前三時4/5程度、同日午前四時半殆んど全開大となつたが、この時にはじめて胎児心音の異常が聴取されたので、被告において看護婦助手にクリステレル法を行なわせるとともに自から吸引娩出器を使用し、同日午前五時一〇分頃新生児を娩出させたところ、同児は重症仮死状態で娩出後数分間でその心音も消失し死亡したこと前記(一)認定のとおりである。

かような陣痛発来から胎児娩出を経て死亡に至るまでの過程において、産科医としてその介助診療にあたつた被告の所為につき、以下順次その当否を検討する。

(1)  原告の分娩第一期において陣痛の発作および間歇時間がどのように進行したか不明であるけれども、右(一)認定のとおり、陣痛の持続時間は短く弱い方であるがその発来は順調であり、緊迫する力はやゝ弱いが子宮口開大は順調に進み、陣痛開始時から子宮口全開大までの経過時間は一八時間であつて、この認定事実と前示鑑定結果とによれば、原告の第一期陣痛は、原告主張のような微弱陣痛(一般に、陣痛の発作時間が短縮し子宮収縮力は微弱となり間歇は長く分娩が進行しないものをいう。)ではなく、個人差の範囲でほゞ正常かあるいは幾分弱い程度のものであり、分娩の進行が若干遷延したにとどまるものであつたと認められる。

ところで右陣痛開始後約三時間半を経過した二九日午後二時頃から同日午後七時頃にかけ陣痛促進剤であるデリバリンを一時間間隔で一錠ずつ合計六錠を原告に投与し、かつ、この時期においては右薬剤投与にとどめていた被告の診療行為は、たといデリバリンが幾分児の仮死率を高めることがある(前示鑑定結果)にせよ、右デリバリン六錠投与と前記重症仮死との間に因果関係の存在することを認めうる資料のない本件にあつては、右陣痛の程度、右薬剤投与の時期目的(前記(一)認定のとおり、頭部下降し頸管部の残存甚だ薄く三指を通じうる程度に開大し明らかに分娩開始の徴候が認められた後に、下肢外陰唇に浮腫が明らかになつたこと等を考慮し、分娩誘導をするために、右薬剤が投与された。)、その量および使用方法(それが標準の方法で誤りのないことは、前示鑑定結果により明らかである。)ならびに右時期にあつては右(一)認定のとおり児母に異常所見のなかつたことよりみて、これを不当とすべきいわれはないものと認められる。

(2)  (胎児心音の急変およびこれにつづく新生児の重症仮死状態での娩出、死亡の原因とその予知および対策について)

まず新生児の死因について考えるに、前記(一)認定事実、被告本人の供述の一部および前示鑑定結果によれば、「児頭および骨盤の大きさ、臍帯および胎盤の所見ならびに児の剖検による頭盤内出血の有無等が明らかでない本件にあつては、右新生児の死因を明確にすることは不可能であるけれども、臨床上仮死の原因としてあげられているもののうち、<1>子宮内胎児の位置等に因する臍帯の圧迫あるいは巻絡<2>分娩時間特に第二期の遷延などによる胎盤血行障害あるいは先進児頭の骨盤腔内での圧迫のうちのいずれか一つが右新生児死因にあたるのではないかと最も疑われるのであつて、しかも本件臨床所見よりすれば、右両者のうち、<1>の事実、すなわちこれを本件にあてはめるならば、何らかの原因にもとづく臍帯の圧迫による胎児血行障害、酸素不足が右死因をなしていると推定しうる可能性の方がより大きい。」ということができる。前示乙第一号証の一、二および被告本人の供述によると、被告において「妊娠腎のため分娩二期遷延し児頭に圧迫が加えられたため重症仮死状態になり死に至つた」旨死産届書に記載したことが認められるけれども、さきに認定したとおり原告の症状を妊娠腎とみるのは不適当であり、かつ、二期遷延は臨床上著しくなかつたのであるから、新生児の死因が右死産届書に記載されたとおりであつたとすることはできず、ただ前示鑑定結果に徴し、右<2>のうちの先進児頭の骨盤腔内での圧迫ということが右死因をなしたのではないかという疑問が残されている、といゝうるにとどまる。

ところで原告の晩期妊娠中毒症は軽症であり、分娩第一期はほゞ正常に経過して三〇日午前四時半ほとんど子宮口全開大に至つたところ、この時はじめて胎児心音の異常が聴取されたこと前叙のとおりであり、またこの間被告において適時児母の診察を続けたが、産婦の意識・視力に異常を認めず胎児心音にも変調を認めなかつたことが、前記(一)認定事実および被告本人尋問の結果によつて認められるのであつて、これらの事実に、「一般的に分娩経過中に胎児心音が急変することは時にあり、これを予知することが困難な場合が多い」点(前示鑑定結果)および前段記載のように推定される死因の点を考えあわせると、当時他によるべき手段をもたなかつた被告にとつて(いわゆるエレクトロニクスを応用して胎児の心音を連続的に観察しうる胎児心音計は当時開発されておらず、昭和四五年五月の鑑定時においても未だ一般開業医には普及されていないことが、前示鑑定結果によつて認められる。)、三〇日午前四時半の子宮口ほとんど全開大時にさきだち胎児心音の急変を予知することは不可能であつたというほかはなく、被告がこれを予知せず、したがつてまたその対応策をあらかじめ講じておかなかつたからといつて、被告を責めることはできない。

(3)  (帝王切開術を行わなかつたことについて)

被告本人尋問の結果および前示鑑定結果によれば、本件分娩においては帝王切開術は昭和三九年八月二九日午後一一時ごろ原告の子宮口が三分の二開大に至つた時までは可能であつたことが認められるとともに、右時期現在原告には帝王切開術の適応症であるところの産道の異常(狭骨盤、児頭と骨盤との不均衡、軟産道の強靱等)、子宮疾患(子宮癌筋腫の合併等)、全身疾患(高度の妊娠中毒症、心疾患その他内科的疾患で自然分娩が不適当と考えられる状態)、胎児の位置異常(横位等)および切迫仮死、前置胎盤および常位胎盤早期剥離の症状のいずれの一つも存しなかつたこと、却つて、本件晩期妊娠中毒症軽症の理由であらかじめ帝王切開をする適応はなく、また分娩開始後は児頭の下降が順調であつたことから胎児心音が正常であつたと推定される時点までは帝王切開をする必要はなかつたこと、さらに、胎児心音が急変した三〇日午前四時半の時点では子宮口ほとんど全開大であり、かつそれ以前には胎児心音に異常が認められなかつたのであるから経腟的に急速分娩を計るのが妥当であつたことが認められる。それ故本件において被告が、麻卑の危険を含み、一度帝王切開による分娩を経験した者はその半数以上が次の分娩時に再度の帝王切開術を要するばかりでなく、時には爾後腸管癒着などの後遺症の残る可能性がある帝王切開術を選択しなかつたことは、むしろ産科医として執るべき相当な所為であつたということができる。

なお原告は、被告医院の手術室はその設備が完備していず帝王切開術を実施しうる状況になかつた旨主張するが、この点に関する武内愛義の供述だけでは未だ右主張事実を認めるには足りず、他にこれを確認しうる証拠がない。仮に右手術室が原告主張のような状態にあつたとしても、このことから本件における被告の責任を問うことは、叙上のとおり帝王切開術を必要としなかつた点よりみて、できないというべきである。

(4)  (吸引分娩術および鉗子分娩術について)

被告本人尋問の結果および前示鑑定結果によれば、右両術ともに児頭が降下していて子宮口が全開大に近い時期に急速遂娩の必要が起つた場合に応用される方法であり、その牽引力は吸引分娩術より鉗子分娩術の方がやや強いものと認められる。しかし、前記認定のとおり本件分娩にあたつては被告が児心音の異常を知つてから、吸引分娩術を施して新生児を娩出させるまで約四〇分経過している(被告本人は原告を分娩室に入れて新生児を娩出させるまでの時間は一〇分ぐらいであつた旨供述するが、前記(一)認定のとおり被告は昭和三九年八月三〇日午前四時三〇分に児心音の異常を認め、同日午前五時一〇分頃に新生児を娩出させたのであつて、この事実に、「被告は診察室において児心音に異常を認めて直ちに原告を隣室の分娩室に入れた」旨の被告本人の供述部分を合せ考えると、児心音の異常を認めた時から原告を分娩室に入れた時までの時間を斟酌しても、被告本人の前記供述部分は採用できない。)が、それは急速遂娩を完了するのに要する時間として特に長くないことが前示鑑定結果によつて認められ、一方鉗子分娩術を選択、施用していたとしても右時間より短時間に娩出し得たと認めるに足りる証拠はないのであるから、前掲鑑定結果により頭蓋内出血を起す可能性が鉗手分娩術より遙かに少なく、また器具自体も容易に着装しうるものと認められ、かつ、被告本人尋問の結果に徴し被告がその用法に習熟していると認められるところの吸引分娩術を被告において選択、施用したことをもつて、被告による急速遂娩の方法、施行に過誤があつたということはできない。もつとも武内愛義の供述によれば、被告が右吸引分娩器具を児頭に着装する際に一度着装に失敗し、再度着装した事実を認めることができるけれども、右事実のみでは、被告の右吸引分娩の施術過程に誤りがあり、それにより急速遂娩の時間が長びいたと認めるには足りず、他に右判断を左右するものはない。

(5)  (クリステレル氏式腹圧法の併用について)

前掲鑑定結果によれば、急速遂娩を行わねばならぬ事態の突発した三〇日午前四時三〇分以後右分娩促進の補助手段として被告がクリステレル氏式腹圧法を実施したこと自体は誤りでなかつたものと認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。ただし、右腹圧法は、技術的には、圧迫の強さ方向などについて弱ければ効果がすくなく、強きに過ぎれば胎児心音をさらに悪化させるので、可成りの熟練を要するものである(前示鑑定結果)ところ、現実に行なわれたその実施方法について、原告は助手二名がそれぞれの両手に各自の全体重をかけて胎児を押し出す様に強力に原告の腹部を圧迫した旨主張し、武内愛義はこれに副う供述をしている。しかし、証人荒井輝子の証言および被告本人尋問の結果によれば、産科医である被告の看視・指示の下に訴外堀込ツヨ子および同荒井輝子の両看護婦助手が右腹圧法の実施にあたつたこと、右両名はいずれも正規の看護婦助手の資格をもつものではないが、被告のする分娩介助にはその助手として立働いているものであること、右訴外荒井輝子は被告医院に勤務している期間を含め昭和三九年八月当時までの約一〇年間の長きにわたり出産介助の仕事に従事してきた経験を有し右腹圧法の実施にも時折り当つて来たこと、右両名は原告の左右両側からそれぞれ片手で原告の陣痛に合せて右腹圧法を実施したこと、その際第三者からは、相当の力が用いられているように見えるものの、実際には、右両看護婦助手とも殆んど力を加えず撫でながら原告の腹部を押した程度であつたこと、産婦は分娩の際は自ら相当の力を出すのでその力み方によつて自然に分娩台の下方にずり下つていくことが認められ、これらの認定事実に照らすと、右武内愛義の供述部分はたやすく採用できず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はなくかえつて右各認定事実を綜合すれば、被告がその補助者を使つて原告に対して実施したクリステレル氏式腹圧法はその実施方法においても不当なところはなかつたものと認められる。

(6)  (分娩後の措置について)

新生児が前記のような重症仮死状態で分娩されたのに対し、被告は別紙「診療経過」「認定事実」欄の昭和三九年八月三〇日欄記載のとおりの各種蘇生術を施したが、娩出時に認めることのできた新生児の緩慢な心音も数分後には消失し、遂に死亡するに至つたものであるが、前掲鑑定結果によれば、右各蘇生術はすべて産科医として施術すべきものであつて、またその実施方法も妥当なものであつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二、初診時原、被告前に診療契約の結ばれたこと自体は当事者間に争いがなく、この事実に前記一項認定のような初診から分娩に至るまでの経過をあわせ考えると、右診療契約(その報酬請求権の点および入院契約の点を除いた、医師の負担する債務の側面のみから考察する。)は、被告において、妊娠三ケ月である原告およびその胎児の分娩に達するまでおよび分娩後母子ともにその健康が安定するに至るまでの生理的機能の経過に応じて対処的加療の必要性の有無を観察し、必要な場合にはその適切な対処的療法を選択し、これを施術するという診療行為を遂行すること自体を内容とする債務を負担するという準委任契約であると解するのが相当である。

たしかに出産、即ち受精の結果として子宮内に生じた新生物である胎児とその附属物とが産道を経て母体から外界に排出される現象はそれ自体必ずしも医師の介助を必要とはしない。しかし通常健康な妊婦が出産のため産科医の診療を受ける場合は、産科医において、妊産婦の妊娠および分娩が自然で正常な経過をとるよう助力するとともに、その間に発生することあるべき病的過程に対する予防措置およびその顕在化したときにおける治療等を行なうことが当事者間に合意されているのであつて、この点においては、すでに発生している病変を前提としその診察治療のされることを合意の内容とする、一般の病気の場合に結ばれる診療契約とその本質を異にするものではない。ところで妊産婦は児母ともに健全な状態で出産しうることを期待して、またかように期待するが故に、産科医の診療介助を受けるものであり、産科医にあつてもかような出産に至ることを最終の目標として診療介助にあたるものであるけれども、本件診療契約の締結された昭和三九年当時の医学、医術および医慣行の水準を前提とし、厚生省大臣官房統計調査部編昭和四〇年度人口動態統計(成立に争いのない乙第二号証)にみられる同年度の出産状況等(たとえば、同年度の医師の立会による死産胎数は総計一五〇、六二六例そのうち自然八三、五五〇、人工六七、〇七六である。)(なお昭和三九年度人口動態統計上巻六七頁の年次別・市郡部・自然-人口別死産数・率(出産千対)および人工死産のしめる割合(百分率)中の昭和三九年自然死産欄に死産数九七、三五八、死産率五一、七という数字があらわれている。)の現実にかえりみると、通常の病気についての診療契約において医師は患者に対し病気を診察治療することを約しうるにとどまりこれを治癒させることまでは約しえないのが通常の事例であり、右契約における医師の債務は特約のない限り前者の行為をすることにあると解されるのと同様、産科医にあつても、かならず児母ともに健全な状態での出産に至らしめる責任を負うことは不可能であつて、通常右のような状態での出産に至らしめることまでも約するものではなく、前記のような診療介助を行なうことを約するにとどまると解するのが社会常識上妥当であると考えられる。したがつてまた仮に本件診療契約が請負契約にあたるものと解しうるとしても、特約のされたことの認められない本件にあつては、そこに合意されているものは、児母ともに健全な状態での出産という結果を完成することではなくして、右診療介助行為を完了すること自体であるというべきである。

そこで問題は右準委任契約(仮に請負契約であるとしても、右のような債務を内容とするもの)における受任者(右のような趣旨の請負人)たる産科医として被告が善良な管理者としての注意義務を尽したか否かにあるところ、前記一認定事実よりすれば、折角娩出された新生児が間もなく死亡するという誠に不幸な結果を伴つたけれども、本件診療契約については原告主張のような債務不履行の事実はなく、被告は右認定のような診療行為遂行過程におけるその判断作用および施術過程において人の生命および健康を管理すべき産科医として昭和三九年二月ないし同年八月当時において客観的に要求される職務上の注意義務を果し、右債務の本旨に従つた履行を為したものと認められる。

三、よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 萩原直三 高瀬秀雄 松岡靖光)

(別紙)診療経過<省略>

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